「歴史とは何か」とは、1961年にケンブリッジ大学でジョージ・M・トレペリアンが行った講演に基づく、E.H,カーよる著作です。なかなか古く、しかも、清水幾太郎さんによって翻訳された本なので時に難解で、サラッと読むには適していない本ですが、歴史本を読んでいくために非常に有意義なです。ゆっくりとでも良いので、是非とも読んでみてほしい本の一つです。
「歴史と現在と過去の絶え間ない対話である」という言葉はよく引用されているよ。
1900~1940年代に活躍したイギリスの歴史家です。
1898年から1903年までケンブリッジ大学でフェロー、その後20年間も在野での研究を経て、1927年から1943年までケンブリッジ大学で教授を務められました。
「イギリス社会史」など、イギリスの歴史についての著作が多い方です。
イギリスの歴史家であり、国際政治学者であり、外交官でもある、なかなかなスーパーマンです。
1916年から1936年までイギリス外務省に勤務、退職後はウェールズ大学の国際関係論の学部長に就任、第2次世界大戦中はイギリスの情報省の職員及び『タイムズ』紙の記者として活動、戦後は親ソ的な立場が災いして英国の学会とは距離を置きますが、ケンブリッジ大学の研究院として学究生活に入った後は、ロシア革命史の研究をライフワークとされた方です。
E.H.カーの最も有名な著作の一つに「危機の20年」があります。この本では国際関係論における「リアリズム」の重要性を強調しています。興味を持たれた方はぜひとも読んでみてください。
原題を「What is History?」とする、歴史哲学に関する本です。
哲学と聞くだけで難解なイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか?
大丈夫です、難解です(笑)
この本は6章で構成されています。
第1章 歴史家と事実
第2章 社会と個人
第3章 歴史と科学と道徳
第4章 歴史における因果関係
第5章 進歩としての歴史
第6章 広がる地平線
です。各章の名前すらも難解ですね(笑)
次からは、カワウソが影響を受けたフレーズや、読後の感想をいくつか紹介していきます。誤解もあるかもしれませんので、その点はご容赦ください。また、所詮は学者でもなんでもないただの読書が好きな一個人の感想ですので、皆さんも、是非とも実際に本を手に取って読んでみてくださいね。
冒頭でも書きましたが、このフレーズは度々引用されていますので、もしかすると見たことがある方も少なくないかもしれません。
E.H,カーは、このフレーズが、一つの結論だとしています。
歴史から「主観」を完全に排除することはできません。たとえ公的な記録であったとしても、一定程度の主観は残ってしまいます。
また、現在の眼を通してでなければ、私たちは過去の出来事を眺めることも、理解することもできません。
歴史家は現在に属しており、事実は過去に属しているため、過去の解釈においては「歴史家の主観」と「事実」の間で相互作用が働くのです。
このことを、E.H,カーは「現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」と表現しています。とても美しい言葉ですよね。
私たちが歴史を見るとき、必ず現在の価値観で、そして個人の主観が混じっている。これは当たり前のように思えることかもしれませんが、意識しなければついつい忘れてしまうことです。現在の眼で過去を見れば、どんな偉業でも大したことのないように感じられますし、愚行の原因を特定個人の判断ミスにしてしまいかねません。過去と対話をすること、歴史を学ぶ上での非常に大切な姿勢がこの一言に凝縮されています。
過去を理解するために、私たちは現在の価値観や考え方を用います。
一方で現在をよく理解するためには過去を知る必要があります。現在は過去の延長線上にあるのですから。過去を良く知ることは私たちが現在の社会をより知ることにつながります。過去と現在の相互作用、これをE.H,カーは「歴史に二重機能」と表現しています。
歴史家が属するには「社会科学」の分野です。E.H,カーは、社会科学の世界に自然科学の思考方法を輸入することを完全には肯定してはいません。しかし、自然科学者と歴史家には共通点があるとも考えています。それは、「説明を求めるという目的」と「問題を提出し、これに答えるという手続き」です。これをE.H,カーは、「なぜと尋ね続けるところの動物」と表現しています。「なぜ」○○が起こったのか、あるいは起こらなかったのか、歴史家は自然科学の視点ではなく、社会科学の視点で問題を見つけ出し、そして答えを出し続けているのです。
現在は過去と未来を繋ぐ中間点です。このため、優れた歴史家たちが考える命題には、「なぜ」と同時に、「どこへ」といった視点が含まれています。歴史は選択の連続です。過去の選択が、現在を作り出しています。同様に、現在の選択も、未来を作り出します。
優れた歴史家たちは、現在が「どこへ」つながっているかについて考え続けているのです。
ここからはカワウソの完全なる主観です。話半分に聞いてください(笑)
E.H,カーの、「広がる地平線」とはいかなる意味なのでしょうか?
カワウソは、「西洋中心の世界観からの脱却」ではないかな、と考えています。
カワウソは、世界の覇権は、ヨーロッパと中国をような地域覇権国家が複数存在する世界から産業革命を一早く成功させた大英帝国一極へ、第一次世界大戦後はアメリカ、第二次世界大戦後は米ソの二極、そして今は米中の二極へと移り変わりつつあるのではないなと思います。
世界の中心が西洋一極に集中したのはここ数百年にすぎないのですが、西洋の歴史学者が「歴史とは、西洋の歴史を意味する」と錯覚するのには充分すぎる時間だったのではないでしょうか?
E.H,カーはこの錯覚に対して警鐘を鳴らしていたのではないかなと思います。我々日本人は、約3000年の歴史を持ち、中国は5000年の歴史を持つと言っています。(正確な数字はさておき、ですが)そんな我々にとっては、世界の歴史とは、そのまま全世界の歴史なのですが、西洋人にとっては違うのではないでしょうか?
歴史を正しく理解するためには、西洋の歴史のみならず、「世界」の歴史を知る必要がある。E.H,カーが言いたかったことはこういうことなのではないかなぁと、妄想を膨らませたしだいでした。
「歴史とは何か」、素晴らしい本です。カワウソの近所の本屋では特集が組まれていました。皆さんも本屋で見かけることがあれば、是非手に取って読んでみてください。
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